「覚えるために書く」のではなく、「忘れるために書く」ことが目的のブログ。 頭の中でごちゃごちゃになっている情報をとりあえず書き綴ることで忘れたい。 そして、忘れた頃に読み返してみたい。

2008年3月27日木曜日

富裕層はなぜYUCASEEに入るのか

今日はあまりに暇で実家の周りを散歩した。 田舎であんま好きな街ではないんだけど、どんなに細い道でも、どんなに汚いドブでも小さいときに一度は遊んだことがある場所であるため、一つ一つ思い出が蘇ってきて、つい感慨に耽ってしまった。
さて表題の件。
元三井物産の社員が書いた本で結構売れているっぽい。
格差社会が叫ばれる中で、富裕層について語っている点が新しい。
僕の考えとしては、機会が平等でないことは問題であるが、結果が平等でないことはしょうがないことだと思う。そうでなければ、個々人をモチベートすることは難しいだろうし。格差が固定化されてはいけないというが、今の富裕層のほとんどが成り上り(この本でいう「インテリッチ」)であることが機会の平等を暗に示しているだろう。
ま、この問題は置いておこう。
「富裕層はなぜYUCASEEに入るのか」の答えは、「今の日本社会が個人のニーズを満たしていないため」だそう。
トヨタなんかの企業は富裕層向けにレクサスを作ったりしているけど、メディアも国も富裕層のニーズを全く満たしていない。テレビなんかは大衆をメインとしたものだし、国は税金で金持ちからたくさんの金を奪おうとしている。テレビについては前々からそう思っていたが、国がそういった政策をとることは当たり前だと僕は考えていた。しかし、筆者の意見としては、グローバル化が進んだ現在だとそういった金持ちに厳しい政策をとっていくと、金持ちは海外へ逃げていくという。それで失敗した国がフランスで、逆に成功した国がシンガポールだそう。
テレビについての追加の意見としては、「貧乏人の娯楽に成り下がっている。」と言われているように、コンテンツとしての価値がないだけでなく、その間に流れるCMもほとんどが一般人向けのものだと思う。最近のCMをチェックしてみても、その多くは携帯電話、飲料水やその他消費財、大衆車など。テレビは視聴率を前提としているためしょうがない面もあるが、本来広告主にとって重要なことは、視聴率×購買力で、結局見ている人が購買までしてくれないといけない。テレビはだれでも見られるという性質上、消費財など、安価な製品が広告のメインにならざるを得ないんだろうけど、有料放送などで富裕層向けの番組があってもいいとおもう。
それにネットの世界から答えたのがYUCASEEなんだろう。
二点興味をもったことがある。
一つは、「金持ちは悪いことではない」ということ。
日本は昔から平等社会で「出る杭は打たれる」し、「嫉妬」されることも多いのだろう。だから、金持ちであることに引け目を感じる人もいるのかもしれないが、その必要はないとのこと。金持ちになることで、隣の家の人の資産が減るわけでもないし、むしろトリクルダウン効果で潤すことさえできるという。
もう一点は、「日本人は金への関わり方が下手である」ということ。
まず、一つは使い方が下手。富裕層は増加傾向にあるのにその使い方に窮している。「稼いで半人前、使って一人前」であり、ビルゲイツのように社会貢献するのも金持ちの役目だという。
もう一つは、増やし方が下手。鶏と卵の関係でいえば、給料は卵にすぎない。資産運用することで、その給料を鶏に変えなければいけない。
保守的な両親に聞かせたい。

プロフェッショナル

僕の好きな番組の最もイケテル作品。この監督の器はでか過ぎる。

「考えろ。大人なんだから。」
「お前の最大の強みは?最大の弱みは?なんでそこに動いたの?」
「壁に当たったときがチャンス。」
「衝突を恐れるな。」
「考えているかどうかの指標は、ミーティングの外側にいないかどうか。」

部活をやっている頃は、これほど厳しくできているかどうか自問自答していた。

「私はダメ教員。日本代表に13人輩出したが、彼らは清商にいなくてもそれなりの実績を挙げていたはず。私のおかげで成功した人はごくわずか。むしろ、助けてあげられなかった人のほうが多い。結局私の手のひらに収まる人間しか教えてあげられない。私も未熟で手のひらが小さいから多くの人の手で助けてあげたい。」

なんで、こんな謙虚なんだ!

「教師の仕事は教えることではない。考えさせること。」

もしお前がキャプテンだったらなにをするか、をどの立場の人間も考えられるようなチームが最高のチームなのではないか、と考えさせられた。

2008年3月26日水曜日

十二番目の天使

最近読んだ本ではないのだが、かなり好きな本。母が、身内に不幸があった兄に紹介し、彼の人生を変えたと言い張っている(笑)一冊。
以下、ストーリー。ネタバレ注意。

大リーガーになった後、大企業の社長となった主人公ジョン・ハーディングが街の英雄として故郷へ帰ってきた矢先、最愛の妻と息子を事故で亡くしてしまう。幸せの絶頂から一気に絶望の淵に立たされてしまった彼は、一度は自殺まで考える。しかし、彼の友人の心遣いで、少年野球の監督の依頼を引き受けることとなり、監督をしていく中で、彼は人生に対して前向きになっていく。

ジョンが率いる野球チームにティモシー・ノーブルという選手がいた。彼は、体は小さく、足は遅い、守備もバッティングもてんでダメ。あまりに下手くそだったため、仲間からは後ろ指を指される始末。おまけに家は貧乏で、グローブも自転車もぼろぼろだった。

しかし、そんな彼の唯一の取り柄は、ちっちゃな体に収まりきらないほどでっかいハートを持っていたことだった。彼はどんな状況でも、与えられた環境に不満一つ漏らすことなく、ただただ前向きに取り組んでいた。

そんな彼の口癖。
「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対あきらめるな。」
「ぼくは毎日あらゆる面でどんどんどんどん上手くなっている。」


人は生きている限り何かを考えながら生きている。そうであれば、「負けるかもしれない。」、「自分はちっともうまくなっていない。」というような後ろ向きなことを考えるのではなく、「勝てる。」、「うまくなっている。」という前向きな考えを常にもっていた方が幸せに生きていけるんだろうな。メンタルタフネスにも役立ちそうな一冊。

地頭力を鍛える

就活時「地頭」についてよく言われる。そのことは「頭の回転」とか「頭のキレ」とかを指し、生まれ持った能力のように思われているが、決してそうではなく、地頭は「鍛えられるもの」と定義している点が面白い。

コンサルの面接なんかで頻出の「かず数え問題(フェルミ問題)」の解き方について語ったものがメイン。「日本に電柱は何本ありますか。」みたいな。

ただ、「かず数え問題」はフェルミ推定の入り口に過ぎず、社会にはその応用編がたくさんある。それを解くのにフェルミ推定の「結論から」「全体から」「単純に」という方法論を主に語ったものであった。コンサルタントらしく全体の構成がうまく、図示なども要所要所なされていて分かりやすかった。「目からうろこ」の箇所が随所にある。昨今、雑学王がもてはやされているが、コンピューターによって代替が利き、さらにその情報自体、陳腐化が激しく、応用が利かない。だから「考える力」を身に付けるべきだというのは大前研一の「考える技術」と同じだ。

容疑者Xの献身

東野圭吾の直木賞受賞作。大学で映画の撮影しているということもあり、衝動買いした。
理系の作家らしく、分かりやすい文章構成でとても読みやすい。
全ての伏線が結論につながる感じ。

「思い込みによる盲点をつく。」というのがミソ。ここにひとつのどんでん返しがあった。愛する人のために行った献身が悲しい結末を生む。ちょっと動機としては信じられないけど。

Xが行った殺人はゲーム理論的に言えばコミットメントだな笑

追いコン

大学時代一番頑張った部活。
四年前、「自分は四年間何をやろう」とウキウキドキドキしながら、サークルや部活を回ったことを最近のことのように憶えている。
最終的には、高校時代の友人や先輩からの勧誘もあり、「何か一つのことを成し遂げたい」と思い今の部活を選んだ。
終わってみると、チームとしても、個人としても目標を達しきれず悔しい思いで終わった。しかし、多くの人に支えてもらい、大変有意義な学生生活であったことは間違いない。皆さんには感謝してもしきれません。

卒業式

遂に四年間の学生生活が終わった。この前入学したような気がするけど本当に早かった。大学時代頑張ったことは、部活、ゼミ、バイトの順だ。思い描いたように行かない部分も多かったが、ハッピーだったことに間違いはない。

勉強はほとんどしなかったがゼミだけは頑張った。卒業論文のAという成績が、僕に「落ちこぼれではなかったよ」と言ってくれているような気がして、少しうれしい。
その卒論に先生が引用した二つの言葉が載っている。

Again, you can’t connect the dots looking forward. You can only connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something-your gut, destiny, life, karma, whatever-because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.
―Steve Jobs

すでに勉強を済ませている人は、ドジを踏んだときに、「この失敗は、以前に自分が座学で学んだこととおなじではないか」と気づいて愕然とします… この時点で過去の学びはようやく、身に染みた自戒と因果律データベースに変わるのです。しかし、勉強をしたことのない人にはこの照合が起きない。だから、見かけは違っても根っこのおなじ失敗をまた繰り返す… いくら年を取っても勉強と青臭さは必要なんです。
―三枝匡

両者ともに、「スーパー」が付くビジネスマン。バックグラウンドは全く違うが、同じようなことを言っていて、「勉強をする意味」について教えてくれる。高校までの勉強は、それ自体社会で役立つものではなく、大学合格のための「手段」に近いと思うが、大学以降の勉強は自分が社会を生きていくために役立つものでなければ、あまり意味がないんだと思う。「三回以上同じ失敗を繰り返す奴はバカだ」とは個人的には思うが(笑)、僕もそれにはまらないように勉強は続けたい。

会社の課題

入社前に一冊の本を読んで、レポートを書くという課題が与えられた。
その本の中の言葉。
「眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく、遠大な希望をいだかれると望む。」
うーん、いい言葉。僕もこんな仕事がしたい。

簿記に落ち、TOEICも人並みだけど、遠大な希望をもって頑張ろう。

うつから帰って参りました。

前にR30に出演していて興味を持った、一色さんの作品。
「病院へ行こう」、「私をスキーに連れてって」等のヒット作があるようだが、僕らの世代には「ショムニ」の脚本家と言った方が分かりやすいかもしれない。

この本は、エッセイなのだが、うつを扱うだけにものすごく深い内容だ。
「うつとは理解はできるが、感じることができない、脳にサランラップを巻いたような状態」と言う。おいしいものを食べているというのは分かるが、感じられないらしい。

「うつは病気」という認識が必要だと思った。その人の心の弱さのせいにして、精神論、根性論で説き伏せることで、治してあげようという無神経な人間はたくさんいると思う。僕もうつの人に会ったらそうするかもしれない。しかし、覚えておかなければならないのは、うつとは、周りの人の力ではどうすることもできない、ただ時間のみが解決してくれる病気だということだ(もちろん医学的な処方も必要だが)。

しかし、このエッセイが良かったのは単なる闘病記でなかったことにある。奥さんに対する感謝を込めたラブレターに近いかもしれない。女性の強さが感じられた。
余談だが、男が仕事に出て、女が家を守るという「家」の構図は、男の方が、仕事ができるからと少なからず考えていたが、実はそうではないのかもしれない。「待つ」と言う行為は、より精神力が必要であり、自分の力でどうすることもできないということは、実際に自分がやる以上に、神経をすり減らすことだ。だから、もしかしたら、男が一家の大黒柱として仕事に出るのは能力に秀でているからではなく、むしろ「主夫」という仕事がとても務まらないからかもしれない、となんとなく思った。

「羅針盤はこころ」、「大切にすべきは意味よりいま」はいずれも一色さんが登場人物に語らせた言葉だが、僕はこの二つの言葉が好きだ。

となりのトトロ

「トトロ死神説」があるようで、それを検証すべく、中国で購入したDVDで見てみた。
結論から言えば、NOだ。
もともと、母親が病室から「皐月とメイが笑った気がする。」と言ってトウモロコシを受け取るシーンが疑惑を生んだ。確かに、病院の近くに行っているのに、皐月とメイが病室に寄らず、木の上からトトロと一緒に眺めているのはおかしい気もする。しかし、その時点で、二人が死んでいるのなら、その直後のシーンで、皐月とメイがおばあちゃんと抱き合ったり、幹太と会話したりしているシーンの説明がつかない。メイの影も薄くなっていることはない。
ジブリも公式にNOと言っている。

「死んだ皐月とメイを描いたお父さんの妄想説」と言うのもあるようだが、これなんかもはや根拠もないでっちあげに近いだろう。

子供の頃にしか見えないものがあるという、きれいなお話として捉えるべきだろう。

毎日が日曜日

商社マンを描いた、城山三郎の小説。
題名とは異なり、海外赴任の辛さ、家族と離れることの辛さ、上司にごまをすらなければならない辛さなどが描かれていた。主人公と対比して、定年退職をし「毎日が日曜日」な生活を送る人物についても描かれているのだが、それはそれで、だれかに頼られることがないという辛さもあるよう。日本を支えてきた総合商社の影の部分が見られる。
商社に限らず、こういった辛さはどこの企業にもあるはず。僕自身は、就職活動時、「自らの市場価値を高めたい」という希望が強くあったが、社会人になるということは、嫌なことも受け入れるということでもあり、自分の希望を押し通すだけというわけにはいかないだろう。三年以内に三割の新入社員が辞めると言わているが、「石の上にも三年」、少なくとも10年間はどんなことがあっても、下積みを続けることをここに誓いたい笑。

中国

上海・北京に行ってきた。
いずれも都会で、ぼったくられることもなく、安全な国だった。意外にも、英語をしゃべれる人は少なかったが、漢字を見せれば意思疎通ができた。食事については、油っこくて合わないという難点があったものの、総じて良い国。
インドを経験すると、他の国の店の勧誘はちょろいと感じるが、それはそれでちょっと寂しいかも。中国に行くことで、インドの良さを理解できた気がする。

喫煙所で、中国で飲食店を出すという、日本人に会った。
日本の常識が通用せず、うそがまかり通ったり、内装にまでいちいち口を出され自由に店を作れなかったりするとおっしゃっていた。ただ、もともと社会主義の国なだけに、資本主義で経営を学んだ人間は重宝され、参入する余地は充分にあるとおっしゃっていた。また、中国は地域によって人間が異なり、一つの国としては中国は理解できないともおっしゃっていたが、このことは大学の講義で聴いたことと一緒だ。

受験のシンデレラ

3月10日はある種の人にとっては重要な日。東大の合格発表日だ。
受験の神様、和田秀樹が映画を撮って、小説も書いたと言うので、受験生当時お世話になった僕としては読まないわけにはいかなかった。参考書なども実際のものが挙げられていてリアルに感じられた。ただ、作品としては大したはことなく、受験に縁がない人は全然面白くないだろう。

インド

23日間の予定のインド旅行だったが、急遽予定を早め11日間で日本に帰ってきた。志半ばで帰ってきた感も少しあるので残念だが、旅行の目的である「生と死のコントラスト」と「インドの経済力」は、予想とは違う形ではあったものの、感じることが出来たので悔いはない。むしろ、嫌々インドにいるよりも残り少ない学生生活を謳歌した方が良いと思い、中国へ行くことにした。

インドはクレイジーな国だった。臭い、汚いなどはある程度予想していたものの、人がとにかくしつこくて、うざかった。デリーなんかその典型で、入国後の観光客をちょろまかしてやろうというインド人ばかりだった。タクシーは目的地に行こうとせず、ひたすら「政府公認」と言い張る旅行会社に連れて行こうとし、結局、まわりを一周させられた。最後は僕がキレて助かったのだが、デリーでだまされる日本人は本当に多い。

バラナシにおいても、「生と死のコントラスト」が感じられると勇んで行ったが、一番の観光スポットである火葬場では、石を投げられそうになった。ガイドはいらないというのに執拗についてこられ、ジャイカが建てた建物に登らされた。そこで違う人にバトンタッチし、その人に「僕は、老人や貧しい子供を助けるボランティアをしている。…。だから、薪代を払ってくれ。」と言われた。あまりに高額で本当にそのお金を薪代として使っているのかどうか怪しかったので断ると、「薪代払わない。出てけー。」と言われ、出て行くと、上から危うく石を投げられそうになった。

都市ボンベイでも、タクシーのメーターは壊れていて、高額な料金を請求され、さらに同乗していた友人は、500ルピー払ったのに払っていないと言われ、そうこうしているうちに本当は400ルピーで行ける距離を2000ルピーも持っていかれた。

「インドの経済力」については、都市的な景観などを期待していたのだが、大都市ボンベイですら、日本と比較するとものすごく汚い。むしろ「インドの経済力」については、街でインド人とお金の交渉をする中で、カネに対する執着心や、組織的な手口の巧妙さに感じられた気がする。世界の金持ちトップ8に4人もインド人が入っていることが納得できる一方で、頭脳が観光客をチートすることに使われていることを残念に思った。

しかし、悪いことばかりでなく、良いこともあった。イスラエル人に教えてもらいながらガンジス川で平泳ぎが出来たし、たくさんの日本人、イギリス人、アメリカ人、そして1割のインド人と仲良くなった。ジョードプル、アグラの人は親切だったし、タージマハルはすごかったし、食事もおいしいところはあったし。
ただ、旅行の代償も大きく、追加で買った航空券600ドル、さらに、下痢で内科、変な虫刺されで皮膚科、ものもらいで眼科にも行く羽目になった。ただこの旅の経験はプライスレス…、だといーな。